・・・でも、そのことは確かだ。此処にある太いタイアの滑走車や、ハンドルや発動機がちゃんと、あの写真にあるように完全な飛行機として結合されていた時、その全体は、雪のように真白く咲き乱れた競馬場のクローバーの上を、小さな雛型の花々に宿した朝露を蹴って舞い上がり、あのように勇ましく春風を切って高く高く飛んで行き、矢のように伏見の練兵場のまんなかに衝突して壊れてしまった! (稲垣足穂『白鳩の記』)
武石浩玻のことをぼくが知ったのは、もちろん稲垣足穂の著作を通じてのことだ。高校時代、ぼくは二度ほど校内の「図書新聞」というやつにテキストを書いたことがある。そのすべてが稲垣足穂についてだった。最初のテキストは『一千一秒物語』とその宇宙論について、次のテキストは足穂と機械と飛行機についてだった。
飛行機という純粋機械について考えること。
当時ぼくは、澁澤龍彦と聖サド、ハンス・ベルメールとアドルフ・ヴェルフリ、クセナキスとシュトックハウゼン、クラフトワークとアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンに傾倒していた。かなり奇怪な趣味だったと思う。
足穂の「落ちるための飛行機」という観念は、この頃のぼくの志向を貫通するなにかをあらわしていた。
+ + +
武石浩玻が死んだのは、大正2年のことだった。日本で最初の都市間飛行(大阪−京都間)に挑戦し、その帰り着陸に失敗して京都深草練兵場に墜落死したのだった。
武石浩玻(1884生〜1913没)「短い口髭がある口辺を片笑ませた武石浩玻の半身像は、あの風立ち易い春の日の如くに神秘的である」と足穂は書いている。
この当時の飛行機はよく落ちた。墜落死する飛行家も多かった。この頃の飛行機は「純粋機械」と呼ぶにふさわしい。何かを運ぶためでもなく、スピードを競うためでもない。ただ飛ぶために飛び、必然的に落ちる。そんな機械はいまこの世界にない。
大阪練兵場にいつたん着陸してから、菜の花はちりたてゝ野は一面に青麦の畑、風快き鳴尾の空にヒバリの声を脚下数百尺に置いて、電光の如く飛んで行きながら、予は初めて故郷の懐かしき春の色の湧き立つさなかに在つて、夜に壮快なもの、痛快なるものを真に味ひ得たる心地がした・・・ 天王寺拓殖博覧会上を一周して、二千尺の天空を城東練兵場に向つて突下さる時は、雷の如く起る歓呼の声に十数万の観衆と握手するやうな気がしました。(朝日新聞より、武石浩玻の言葉)
ベルメールの関節人形純粋機械には死の匂いがする。
たとえば(機械ではないけれども)ハンス・ベルメールの関節人形は、あれは生きたなにものかの似姿ではない。押井守は関節人形が「死体」をあらわしてるのではないかと書いていた。もっと的確に言えば、死という観念そのものが、関節人形の硬く冷たい肌、関節の陰のなかにあるということだ。「ベルメールの少女趣味」や「人形の創造主たるベルメール」だけをことさらクローズアップするのは彼の芸術の本質を見逃すことになってしまうと思う。ベルメールの芸術は徹底的に観念的だ。その点、バルテュスの対極にいる芸術家だ。
そうそう、飛行機の話だった。
ぼくが生まれた頃には、すでに純粋なものなんて存在しなくなっていた。かろうじて音楽や映画の中にだけは「純粋のかけら」が見つかることはあっても、同時代の文学にはすでに失われていたし、機械の中にもなくなって久しかった。
純粋なものは死と結びついている。ぼくにとって純粋とは形而上なものだった。それを教えてくれたのが足穂であり武石浩玻だった。
ブレリオ式飛行機+ + +
死について考えていたなんて、ぼくにも思春期があったんだな。いまさらながらそんなことを思う。
稲垣足穂の『ファルマン』という短編にこんな言葉がある。大好きなフレーズだ。
ファルマン! ファルマン!
ファルマンの星型廻転式エンジン!
ファルマンの絹張のつばさ!
ファルマンのピアノ線!
ファルマンの空気入りタイア!
ファルマンの胡桃製のプロペラ―!
プロペラの蝶! ファルマン!
ファルマン式飛行機





Citrus junos
Citrus aurantium
Morus bombycis




Arthur Rimbaud
Sahara Blue

パンフ
大所帯
音楽は楽しい
団長さん
ブラボー!
ともっぺ
記念写真
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Louis Armstrong



山頭火





